隷さんの投稿小説

私小説

 (116) 今年の節分は 

2024/04/25



今年の節分、如月は三日の土曜日、

武蔵小山の古本屋店主、亀さんこと亀谷三郎は、

埼玉の不動産屋、神岡浩二に招待され、

大宮の北、桶川まで来ていた。

 

長年フリーターだった浩二の息子、正夫、40才に、

昨年、亀さんが、大企業時代のコネで定職を世話した。

紹介した職場の試用期間が無事に過ぎて

年度が改まった4月から正式採用され、

その定職紹介へのお礼だった。

 

桶川の辺りには、荒川や、利根川の上流が流れていて

鮎や鯉、鰻が獲れ、美味い川魚料理屋が幾つかある。

その一つで、川魚料理を亀さんはご馳走になった。

 

食事後、旧中山道沿いの桶川の旧い街を観光して

『家で二次会はどうです? 節分のお祝いも兼ねて…』 

と誘われ、浩二所有の桶川の駅前マンションに寄った。

 

! (@@)

駅前マンションに着くと、

オートロックの共用入り口には、

フワフワの暖かなオーバに身を包んだハジメが居た。

 

『お~、待たせたか?』 浩二がハジメに尋ねる。

 

「イエ、今、着いたばかりですから…」 

応えたハジメは、

浩二の後ろに立つバイト先の店主、亀さんに気付き、

「あっ、だんな様! こんにちは…今年も…」 

驚いたが、慌てて新年の挨拶を始めた。

 

店主へ 【だんな様】 と、時代がかった呼びかけは、

亀さんがハジメを採用する時に言い渡した事で、

他にも色々不思議な決まり事のある古本屋だ。

数年前、77才の喜寿を超えた亀さんが、

大企業の重役を辞した後、頼まれて面倒をみている。

 

今年の1月、古本店は改装工事で休みだったので、

バイトのハジメが店主の亀さんに遭うのは

年が改まってから初めての事だった。

 

何食わぬ顔で新年の挨拶をするハジメだったが、

その日着て来た自分の衣装の事を想い出し、

汗がツ~っと一滴、背中を流れ落ちていった。

 

3人揃ってエレベータで9階まで上がり

浩二所有の住居の玄関を開けると、

奥の居間の外、ベランダ側から

『オニハ~~ ソト!』 の掛け声が聞こえて来た。

 

『他の部屋でも豆撒きだねぇ?』 亀さんが呟き、

『ウン、節分だから豆が用意してあります。

 酒盛りを始める前に我々も豆撒きは?』

浩二が応え、狭い廊下を通って居間へと向かう。

 

料理屋から一足先に帰っていた正夫が

居間の手前の台所から、廊下に顔を出して、

『おやじぃ、酒と料理屋で貰った折詰の摘まみ、

 居間のテーブルに用意しておいたよ、 あれ?』

 

亀さんの後ろに立っているハジメに気付いて

『エッと? 前に会ったよな? う~ん、名前は?』

 

「ハジメと申します、正夫さま、

 ご無沙汰しております」

と、ハジメが、丁寧に、お辞儀をして挨拶する。

 

『そうだ、ハジメだったな? 何年ぶりだ?』

親子ほども年上のハジメに対して、

乱暴な溜口で問いかける正夫だ。

正業に就いても地は簡単には直らないようだ。

 

「お会いしたのは、コロナの前ですから

 四年ぐらい前でしょうか?

 この度は、ご就職おめでとうございます。」

 

『ウン、亀谷さんには、去年、大変世話になった。

 亀谷さん、この度は本当に有難うございました』

殊勝に、亀さんに再度、お礼を言う正夫だった。

 

居間のテーブルに先に着いていた浩二が

『亀谷さん、こちらへどうぞ』

壁を背にする主賓の席を勧める。

正面は隣の座敷へと通ずる襖だった。

 

『じゃぁ、俺たちは、こっちだ。』

正夫が言って、廊下側の長椅子に座り、

隣を少し開けて、ハジメに座るように勧めた。

 

ハジメがオーバを着たまま、席に着こうとすると

『暑いだろう? 座敷に掛けとけばイイ』

と、正夫はハジメが座るのを止めて、

座敷との境の襖を少し開けてみせる。

 

「でも、これを脱ぐ…と。。。」

凍り付いたように立ち竦むハジメだった。

 

ハジメが今日、大宮の先、桶川まで来たのは、

昨夜、浩二から電話で、『明日、桶川に来い』

と、有無を言わさぬ命令口調で呼び出されたから。

 

そして、夜遅くの呼び出しの電話を

『いつも遭う時のように、あそこは掃除して、な。

 寒いから、あのフワフワオーバで来るんだろうが、

 オーバの中は、分かってるな!』

浩二は意味深な言葉で締め括った。

 

で、今日、ハジメはその言葉通りにしてきた…

だから、オーバを脱ぐと… !

 

                           《続く》






トップ アイコン目次へもどる    「隷さんの小説一覧」へもどる
inserted by 2nt system